自分メモ

私の母は霊感が強く、兄がその体質を受けている。私もそこそこ勘はいいと思っている。

で、最近の不思議をまとめてみます。って、もちろん、父の死と関連付けているのですけど。。。

(1)3月下旬から4月上旬、まだ父が倒れる前のこと。1階の居間にいると、夜、よく2階の元・父の寝室を人が歩きまわる音がした。かつて私が生まれ育った家は、2階を人が歩くとドタドタ音がしたが、その時の音だった。絶対に今の家には2階に誰もいないはずなのにと思いながら、ジーク太郎とフリート新之助が何も反応していないので、とりあえず盗人ではなし、外から音が聞こえると思い込んでいた。というか、この体感を何かに関連付けるのが怖かった。と思っているうちに

(2)4月19日、父が倒れた。そのために、過去10年以上に渡っておっかけしているある方の講義に出られなかった。それは、1年前の同じ4月19日、私が突如右膝の半月板損傷のために、同じ方の講義に出られなかったのと同じだった。

 その後も、ことあるごとに、父の状態のために私があきらめた予定は、この方の講義であった。父が救急車で運ばれた日の夜にもこの方の講義があったが、その時は無理して出かけたために、気持ち悪くなった。

 父が亡くなった5月31日も、父危篤のため、この方の講義に出られなかった。
 まあ、逆にいうと、いかに私がこの方の講義をたくさんとっている、ということにもなるが、現在、週7日のうちの2日。確率的には、高すぎる気がする。なんか、意味がありそう、全然わからないけれども。

(3)5月22日、兄と兄嫁が父の見舞をしたときのこと。私は、父の入院費の請求書をもらうために一足早く病室を出ていたのでその場面を逃したが、母と兄、兄嫁は、部屋を出る時に、はっきりと頭のすぐ後ろで父の「ああ」という掛声を聞いたという。そのためにもう一度ベッドに戻ったら、父はぐっすり寝ていたとか。父の死の9日目の出来事。

(4)4月下旬だと思うが(携帯からはてなにもアップしたので、後から日付確認して追記します)、私が夜にうとうとしていたら、父が家にやってくる夢を見た。居間で私に向った父は、隠れて来たのに娘にみつかっちゃったなあ、という顔をしていたずらっぽく笑っていた。

(追記:今見たら、すでに勘違い。5月6日の夜に、夢を見て目覚めたのでした。丁度、枕もとの携帯からはてなミクシィにアップしていたので、転載すると;

夢を見て目覚めました  2008年05月06日23:41 父が夢に出て来て,どこかに旅行か何かで出掛けた筈なのに,こっそり家に戻った所を私に見つかった,というもの。入院して4月30日で3年。入院させた朝の事は忘れられません。 )

(5)5月31日、父の死の直前。30日から末期肺がんの父から独特の匂いがしていたので、私はもうだめだ、と改めて思っていたが、この独特な匂いが、病室を出てからも、私のハナについていたのだけではなく、いろいろな場所で匂った。
 私自身は自分でいって忘れてしまったが、31日、父が寝入ったあとにいったジョナサンで座るなりに、私が「あの匂いがする」といったとか。今思えば、寝入った父の魂は、私たちと一緒にジョナサンに来て、お茶していたのだと思う。全員が軽食のパンケーキなどを食べ終え、ドリンクバーの1杯目を飲み終えて、2杯目に手をかけたところに、私の携帯に電話が。
 多分、父の魂も一緒に私たちとジョナサンに来て、一緒にお茶して好きな甘いものを食べ終わったときに、最後の息を引き取ったのでしょう。

(7)通夜のあとからは、この「死臭」の代わりに線香の匂いがするようになる。たとえば、明らかなのが、告別式の朝、ほんの水曜日、6月4日のこと。ジーク太郎が入院してしまって、フリート新之助を散歩させていたら、何度か線香の匂いがした。どこかで線香を焚いているのだと思ったが、数回もすると、やはり父が私と一緒に歩いていたのでしょう。その日、お友達のエス君と会ったのだが、いつもは近づいて喜ぶエス君、この日だけは2メートル以上新之助に近寄らず、独特の体制をして、こちらを見つめる。それを3回繰り返した。エス君には、父の魂が見えていたのではないでしょうか?

まだいくつかある気がするけれども、とりあえず。


いつ鳴るかとこわごわ枕もとに携帯を置いていた期間、4月19日から5月31日まで。そのあと、ジーク太郎の入院のときもドキドキ。なぜか、今も枕もとに置いて、眠れない夜にいじっている私です。