目鱗経験二つ

 ほとんど使わない「海外」カテゴりーネタをちらりと。
 今まで35カ国位いっているはずの私ですが*1、その中からすっごい影響を受けた国は二つ。一つはインド(観光)、もう一つは初めて暮らしたオーストラリア。
 インドには、オーストラリアにワーキングホリデーで行こうかどうしようか迷っているとき(退職届けを出すのにも勇気が必要だった)にいった国。とにかくその地に降り立つだけでパワー、パワー。*2この10日間のお陰で決意しました。会社やめてワーキングホリデーで外国暮らししてみようって。そう思っていたら、旅の途中でオーストラリアのパースに住むご家族と知り合い*3、ずうずうしい私は(20代の私は、とにかく積極的でずうずうしかった、今から考えると赤面ものの思い出山ほど、気が向いたら少しずつご披露します)3週間もパースに滞在してしまいました、勿論その一家のお宅にて。ピナクルズとか、色々観光バス使って回りました。パースは世界一、どこからもisolatedした都市。気候も抜群、インドや南アフリカからの移民も多いところ。
 そしてとどまったシドニーにて。今まで余り書いていませんでしたが(id:yukari57:20050119#p03くらいかな)、私、オーストラリアの学生3人とのフラットシェアに疲れて、日本の院生とシェアをしていました。この方が顔が広く、日本人から外人から、結構面白い方々とお目にかかる機会がありました。その中で、ちょっと変わったオージー娘が日本に行くというのに残していった言葉が、「日本でhuman rights について日本人を啓蒙し広めていくために」という一言。そう、人権。日本人って、自由がないっていうふうに思われていたのでしょうね。私も女性として社会に出て、女性としての限界も感じたし、それも一つの人権だけど、でもそれ以上に、サラリーマンの不自由さってないと思いますね、特に精神的な不自由さ。そのあたり、もっと自分の生き方の可能性があるって、それを実感させてくらたのがオーストラリアでの一年間でした。私がその気になれば、シドニーに残って正式な労働ビザを取って働くことも不可能ではなに、などなど。*4
 私が働いていたのは、ニュータウン・リーグス・クラブというフットボール・クラブで、英語オンリーで受付嬢をしていました。最初は電話とりなど大変でしたが、やっていることがことなだけに、すぐに飽きてしまいましたが、結構いい時給だったので、丸々8ヶ月、楽しませていただきました。シドニーは1日四時間働くだけで、十分フラットシェアならば家賃も払って映画見るくらいの余裕はあり、楽しかったなあ。
 たまに思い出す楽しい日々です。それよりも、後のロンドンの4年間が私にとっての実質青春時代ではありましたが。
 シドニーでは、土曜日の午後にはシネマ・クラブに入って、B級映画を見て語り合う場所にいたり、それなりにチャレンジ生活していました。

*1:そのほとんどは20代で行きました。30代以降は芝居中心になってしまって。

*2:ここで忘れられないのが、デリーを散歩してたどり着いた公園でのこと。マッサージしないかとよってきたインド人、私たちが日本人なので目の前にかえたメモ帳にある日本語のメッセージ。彼はそれが日本人の推薦文だと思ったのでしょうけど、親切からか、嘘なのかわからにものの「この人にマッサージをするといわれても、どんどん値段を吊り上げるので絶対にしないほうがいいです」というメッセージ。我が同胞に海外で感謝するようなことが、たまにじゃんかうって多々ありますねえ。

*3:なんと、夢のようなレイクパレスで知り合いました。あの、007オクトバシーの舞台となった場所です

*4:今は知りませんが、あちらは週末の給料が5割増しなので、週末2日間働くと3日間働くのと同じ。夫婦で週末だけ働き、あとは日本人の若い子を下宿させて生活しているオージーー夫婦もいました