INTO THE WOODS

 私はこのミュージカルを1988年7月のニューヨークで見た。お知り合いになった(どうしてか覚えていないけど)旅行会社勤務のマイケルの是非とも、のお勧めで*1
 素晴らしかった。曲も詞も縁者も舞台も。夢のようで、確かに夢のような御伽噺をいっしょくたんに構成して、かつ現代的なひねりも入れたミュージカルだった。早速CDを買い、翌年ロンドンにいって、あれは1990年か91年かな、ロンドン初演を待ち望み、毎日このCDをかけていた。
 ところが、ロンドンは失敗。私も見て、2-3年前のどきどきがなく、興行も二ヶ月位で終わったようだった。
 そして東京に来たのは21世紀。私は敢えて買わなかった。宮本亜門は、私はテレビの司会者でもしていたほうがいいと思っているし*2、ロンドンでさえややがっくりしたのに、東京では目に見えているから。
 それでも作品の力か、好評だったよう。大体、宮本亜門はいつも好評。*3初日は、今、話題になっているけど、当時は母親の松田聖子が客席に現れ、まるで皇室があらわれたような拍手だったとか。それなら見てみたかった。再演、どうしようかなあ。SAYAKA、ねえ。。。

追記:宮本亜門ファンには申し訳ないことを書いてしまいましたが、思うに、オペラファンでミュージカルファンって、そうそういないのでは?すくなくとも私は、オペラが好きに鳴ってからマイクを使われると気になって仕方がない。例えば、マイクを使わないオペラ歌手がマイクを使うのに慣れたらおしまいって感があるでしょう?好例がパヴァロッティ。私もオペラに心酔してから、マイク使う舞台が駄目になったなあ。歌舞伎見てから、マイク使う大衆演劇も駄目になったなあ。三津五郎は頑張って、旧宝塚劇場での「花岡青洲の妻」でも一人マイク使わずにいましたが。山田五十鈴は、新橋演舞場の「鬼平半科帳」でも唯一かな?使っていたし。もち、島田正吾も歌舞伎の舞台で一人使っていました。

*1:考えてみると、このマイケルには、パリのホテル。Jardin de Plantesから、色々と情報源になって貰った。当時やけにずうずうしくって怖いものなしだった私が、たまたま入った旅行会社で仲良くなったに違いない。でも、翌年、あなたはニューヨークに、私はロンドンで働こう、と約束した友人とその通りになった際、彼女はマイケルとコンタクトを取り続けていて、彼が結婚したことまで知っていた。

*2:太平洋序曲でがっかりした。私の回りはやけに喜んでいたけど。本当にアメリカで認められたのだろうか、私は今も疑っている

*3:私は何か裏があるような気がしてならないのです。プロデュース力じゃないかと。