「東京オペラシティ ギャラリートーク」に今回も参加

 年に数回のこの招待枠が欲しいからと続けている東京オペラシティの」アーツ友の会。今回もこのギャラリーファンの友人と一緒に参加する。

http://www.operacity.jp/ag/exh63/
波田龍起展(次男史雄の展示も素晴らしかった)

1905年(明治38年)8月13日に北海道旭川で生まれた難波田龍起(なんばた たつおき)は、高村光太郎との邂逅から美術に関心を抱き、昭和初年に本格的に画家を志すにいたりました。第二次世界大戦後は一貫して抽象絵画の探求に転じ、純粋に線と色彩が喚起させるイメージの構築を追求してゆきます。
1997年(平成8年)に92歳で亡くなるまでの長い生涯の間には、さまざまな出来事がありました。とくに70歳前後に、最愛の息子で同じく画家としての道を歩み出していた次男・史男(ふみお・享年32)と長男・紀夫(のりお・享年35)に相次いで先立たれるという不幸に見舞われますが、その苦悩を乗り越えた後に、魂の結晶とでも呼ぶべき、深い精神性をたたえた清澄、清明な心象風景という独自の画境に到達したのでした。
「描けなくなるまで描こう」という旺盛な制作意欲は、89歳のときに描いた畢生の大作《生の記録》に結実し、また、死を間近に控えた入院中も最後までペンを握り、一連の《病床日誌》を残しました。

当館が開館した1999年にも「生の交響詩 難波田龍起展 日本的抽象の創造と展開」と題する大規模な回顧展を開催して好評を博しましたが、本展では、生誕100年という記念すべき年に、作品と資料によってあらためてその足跡をたどろうとするものです。

寺田小太郎氏の寄贈による東京オペラシティコレクションを中心とした作品を横軸に、ご遺族のもとに保管されていた父・憲欽(のりよし)ゆかりの資料、青年時代の日記や詩作、高村光太郎が龍起に宛てた書簡集、未公開のスケッチブック、アトリエに残された遺品等を縦軸にして、画家・難波田龍起の人と芸術を振り返ることで、画家の創造の知られざる背景が浮かび上がることと思います。
また、本展の開催に合わせ、4階のギャラリー3・4では次男・史男の個展「収蔵品展018 難波田史男」を開催いたします。絵画制作に真摯に向き合った難波田父子の作品をご覧ください。

 1999年のものが私が最初の頃に参加したギャラリートークでした。その時にリキが入った説明をしてくれた学芸員も今は消えてしまって残念ですが、新しい方の別角度の話も面白かった。前回は、息子さんの史雄さんのお話をもっと丁寧に聴けたが、年代もあるのか、史雄の作品の方が心惹かれる。彼の一連の(夭折した後に両親がつけたという)「自分との戦いの日々」シリーズ、あんなにキレイな作品で自己との戦いって?と思ってしまう。
 お父さまの作品は、さすがに97歳まで作品を残した方らしく、若いことから線が太い。

ついでながら。今回から、ギャラリートークが開始三十分早くなったのは、開館時間が一時間早まったから。おかげで11時にランチタイムとなり、今までいっていたお店、ランチにいたっていない。イタトマあたりでもまたモーニング。お陰で「日高屋」にいくはめに。でも、結構私、このチェーン店、重宝にしているのですが。

ランチ食べて再びギャラリーに戻ったけど、今回は余り人気ないのかな?やはり、ここはポップアート系のイメージが強いからでしょうか?昔やっていた、ヒッチコック映画に関するアート展なんて面白かった〜