デュッセルドルフ交響楽団

ベートーベン特集.エリック・シューマンのバイオリン・コンチェルトは先日のフィンランドの少年のような青年よりも音色が美しく歯切れもいいがイマイチ又おっかけ注目する程ではない.P席のすいか後半の交響曲5番は金管が響かず不満. 終演後お腹がすいて思わず立ち寄ったアークヒルズ大島ラーメン,汁にもしかしたら虫?というような油粕状のものがあり尋ねた所の対応が悪いのでもう行かない店リストに入った

http://www.concert.co.jp/ticket/details/dusseldorfer/index.html
指揮・音楽監督 :ジョン・フィオーレ
ヴァイオリン :エリック・シューマン
主催: コンサートイマジン、日本経済新聞社
後援: ドイツ連邦共和国大使館
サントリーホール20周年記念参加公演
2006年10月31日(火)19:00開演(18:30開場)
チケット(全席指定・税込): S席\10,000、A席\8,000、B席\6,000、C席\4,000、P席\3,000

プログラム    オール・ベートーヴェン・プログラム
ベートーヴェン: 序曲「コリオラン」作品62
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
交響曲第5番ハ短調「運命」作品67

プロフィール
デュッセルドルフ交響楽団 Düsseldorfer Symphoniker

デュッセルドルフのオーケストラ文化は約400年前にまで遡ることができる。1614年以来、宮廷のあったデュッセルドルフの町は有名な宮廷楽団を抱え、バロック音楽界の一中心地に発展、ヘンデルコレルリなどもこの町を訪れた。宮廷がなくなった1720年以降、宮廷音楽家たちの組織した団体は、近代オーケストラ・サウンドの揺籃となったマンハイム管弦楽団の基礎となった。1818年“第1回低地ライン音楽祭”の折、合唱団「市立音楽連合(Städtischer Musikverein)」が組織された。市の初代音楽監督はブルグミュラーが務め、その後メンデルスゾーンシューマンに引き継がれた。
1864年デュッセルドルフ市は、正式に音楽家たちを雇用し、そのスタイルは現代まで続いている。今日、デュッセルドルフ交響楽団はドイツの主要なオーケストラのひとつに数えられており、また、ライン・ドイツ・オペラの管弦楽団としても優れた名声を獲得している。1945年以来、音楽監督を務めたのは、H.ホルライザー、O.センカー、J.マルティノン、R.F.デ・ブルゴス、B.クレー、D.シャロンなど。2000/01年のシーズンよりアメリカ人指揮者ジョン・フィオーレが音楽監督に就任。ドイツで重要な地位を築いてきている。
■ジョン・フィオーレ(指揮者・音楽監督)John Fiore

アメリカ・ニューヨークで音楽一家に生まれた。シアトルに移り、ピアノとチェロをはじめその他の弦楽器を学ぶ。14歳の時にシアトルのオペラ劇場で練習ピアニストとしてプロとして活動を開始、その後イーストマン音楽院で学んだ。
アシスタントとして、巨匠バーンスタインやメータ、また、バイロイト音楽祭バレンボイムレヴァインの元、研鑽を積んだ。メトロポリタン・オペラでは、1990年代以降、10年以上にわたり度々客演。コンサートの分野でも国際的なキャリアを築き、三大陸でデビューを果たした。これまでにボストン響、ミネソタ管、シアトル響、トロント響、メトロポリタン・オペラ、サンディエゴ・オペラ、ドレスデン・シュターツカペレ、ベルリン・ドイツ・オペラ管、バンベルク響、サンタ・チェチーリア・アカデミカ、国立リヨン管、バーゼル響、スイス放送響などに客演している。現在、デュッセルドルフ交響楽団音楽監督兼ライン・ドイツ・オペラの首席指揮者。
■エリック・シューマン(ヴァイオリン)Erik Schumann, Violin

1982年ドイツ生まれ。リューベック音楽院を経て98年から現在までケルン音楽院のザハール・ブロン教授のクラスで学んでいる。11歳で全ドイツ学生音楽コンクールにて最年少、最高点で優勝したのを皮切りに次々と国際コンクールを制覇。14歳のとき、世界的な指揮者エッシェンバッハ氏に認められ、99年のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン国際音楽祭にソリストとして出演、04年の同音楽祭では、優秀な若手奏者に贈られるレナード・バーンスタイン賞を受賞した。また、00年から続けてラヴィニア音楽祭(アメリカ)に招かれ、04年にはエッシェンバッハ指揮シカゴ響と共演し、数千人の観客が総立ちになるほどの大成功を収めた。同年、G.クレーメル、Y.バシュメットらと室内楽で共演した。05年ハンブルク北ドイツ放送交響楽団の定期公演に出演、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団(指揮はいずれもエッシェンバッハ)の日本ツアーにソリストとして同行、06年にはパリ管弦楽団にデビューするなど国際的なキャリアを築いている。楽器は、日本音楽財団より貸与された1736年製グァルネリウス・デル・ジェス「ムンツ」を使用。

400年の歴史を背景にした響き デュッセルドルフ交響楽団  柴田克彦(音楽ライター)
「ああ、なんて柔らかい…」−デュッセルドルフ響が奏でる第一音を聴いて、まずすぐにそう感じた。デュッセルドルフ響の演奏は、各オーケストラの国際化に伴って近年希薄になりつつある“ドイツ伝統の響き”が、ここに佳き姿で残されているのを、心底痛感させられるものだった。
音楽全体は淀みなく流れ、かつ十全に歌われる。これには2000年以来音楽監督を務めるアメリカ人指揮者フィオーレの存在が大きい。メトロポリタン・オペラの常連である彼は、ライン・ドイツ・オペラの首席指揮者を務め、バイエルンドレスデン等の歌劇場でドイツ物も指揮している、いわば本場が認めた実力者である。だからこそ、その響きを生かしつつアンサンブルを引き締め、かくもしなやかに歌わせることができるのだろう。
デュッセルドルフ響の歴史は、400年前に端を発し、かのモーツァルトを感動させたマンハイム管弦楽団にも結びついているという。オーケストラは1日にして成立し得ず、伝統に拠る部分があまりにも多い。
デュッセルドルフ響には、まさしくその“伝統”が深く息づいているのである。