フィガロ@ザルツブルク音楽祭上野文化

天使を出しただけで或いは森を使わなかった事が成功し新鮮で分かりやすいプロダクション。完璧な脚本故に演出のしがいがないと言われるフィガロの概念をいい意味でぶちわってくれた。客席受けも良く誰もが知る落ちでの笑いが目立ったのは歌舞伎で毎年の演目なのに演者により受けが全く異なるのと同じだ。それは新国のモダンでシンプルなプロダクションも同様だが,エイジオブエンライトメントの古式な演奏がモーツァルトらしさをより引き立て,若手主体の舞台は引き締まったが,何か物足りない。色彩が少ない舞台やらやや中身とチケット代がみ会わない事などからか?

会場前でカラヤンツアーのパンフを配っていたが,完璧に私は無視され,かつてある時から渋谷でティッシュを貰えなくなった事を思い出した。私はいつでもおお向こう席ですから。

写真はフィガロとは関係ないジーク太郎とフリート新之助に今が盛りの花。私はこの花に気付いたのは今年が初めてだが,実に自然に対して感覚が鈍いと我ながら。