シアター1010「デモクラシー」

 けちってA席(2階3列目の上手)で見たため、前のバーが邪魔だった。今回はSとAの値段差がさほどではなかったが、昨年見ようか見まいか悩んで買わなかった寺嶋しのぶ主演の「楡の木のなんちゃら」はかなり値段差があったのでやたらA席から売れていたのが頭にあった。劇場は、思ったよりも大きく、これならSとA席の差が出よう。一番似ているのはさいたま芸術劇場あたりであろうか?あそこも最初は芸場担当者が胸を張って「全席S席てもいいような見やすい劇場です」だったけど・・・学生席というか、コクーンでいうコクーン席は見難い。
 さて、肝心の「ゲモクラシー」、余り期待しすぎるとさほどでは、という出来ではなかろうか?俳優がスーパーな割りには、ジャンルは異なるが昨年のヨーヨーマとクレメルの競演程ではないにしろ、それだけ?という感じ。マイケル・フレインというと、新国立にて2001年10月から11月にかけて上演された鵜山仁演出「コペンハーゲン」が記憶にあ他らしいが、筆者はこの「コペンハーゲン」、ロンドンのトレバー・ナン演出版を見ており、ナン演出では観客も舞台上に上って装置の一つとなっていて大変面白かったのが、日本ではごくありきたりの演出となってがっかりしたのが鮮明に記憶に残っている。ただ、まだ時差ぼけの頭でロンドンに着いた翌日に見たので、日本版を見てようやく中味がよくわかって嬉しかった。役者もよかったのに、唯一、トレバー・ナンという天才的演出家が恋しい思いだけは残った。
 そしてこの「デモクラシー」。はっきりいって、まだ役者や演出の方が未完成、未消化ではなかろうか?恐らくこれから青山劇場、ルテアトル銀座を廻って徐々に完成していくのだろう。かなり前半は居眠りしたので余り多くを述べることが不可能なのだが、もう一つ感じたのが、翻訳物だからいつも第一候補が市村正親でいいのか、ということ。彼が超一流の役者であることは間違いないが、どうも愛嬌が勝ちすぎて、だからこそ彼のリチャード3世は新しかったけれども、内面の苦悩や二重性というものが後手後手になってしまうように思う。対する鹿賀丈史はもっと物足りなかった。一国の長というカリスマが見えなくて、普通の悩める一市民の代表のように映った。それも一つの演じ方だろうけれども。
 また思い出したら追加する。