長唄協会公演などを聴いて

 ほんのちょっとしたきっかけから、三味線を月に2回習い始めて早くも一年。師匠が出演する公演にちょこちょこ出かけている。各種舞踊公演やら女義太夫協会の月例会にも顔を出したりしていてつくづく思うのが、日本の芸能は男の身体を基準として出来ているもの。京都の井上流くらいではないだろうか、女の身体のために出来ているものは。
 オペラなどを聴いていると、大体高い声のソプラノが一番通る。それが、謡でも長唄でも、女性の声は通らない。三味線が手が大きく、力もある男性のほうが迫力あるのは当然としても、西洋音楽でピアノのような楽器でもあれだけ女性の立派なピアニストが活躍しているのに、と思うと、つくづく日本の芸能は、女性の生徒に支えられながらも、支えられているのは男性だと思う。
 茶道でも、初心者でも男性がいると、茶会でお正客の席をまかされることも多い。男性がいるだけで場がしまるから、という。確かにそうだけれども、また、戦後の日本の男性が忙しすぎて、文化を背負う底辺がほぼ女性のみになっていることもあるだろうけれども、何か納得できない気持ちがする。