マクミランの死と同席した「うたかたの恋」&ルジマートフ

 一昨日のコメント欄に、思わず「バレエは私の中で優先順位が高くないので」と書いてしまったが、これはちょっと正しい表現ではなかったので、この場を借りてちょっとご説明させてください。私が思うに、今、観客の心をときめかすだけのダンサーが少ないと思うのです。女性なら長らく東西の横綱といわれてきたギエムやアナニアシビリ、そしてフェリらも40過ぎもしくは40代に入る年齢。男性だと、ルジマートフも40過ぎ、ルグリは勿論、マラーホフもそろそろトウがたってきたところといえるだろう。
 往年のヌレエフやバリシニコフに匹敵するダンサーはその後出ていないと思うし(こういう抜き出たダンサーが出るには、政治的にも苦しい環境の中からだからこそ生まれたような気がする。プリセツカヤしかり)、とにかく面白くないのです。国内でも新国立劇場が出来たり、クマテツが形だけは頑張っているものの、中味はまだまだ発展途上といえるだろう。
 そこで、今回は私が今まで見てきたなかでの最高のバレエの舞台を二つ。
 一つは、1992年の秋、当時のロイヤル・バレエの芸術監督、ケネス・マクミランが自らが作った「うたかたの恋」の初演メンバーではないものの、間違いなく最高の舞台の最中に、2幕と3幕との間に、持病の心臓発作で舞台裏で一人倒れていたのを衣装係が発見したのだ。その日の主役は、歌舞伎で言えば時代物の英雄役者をやらせれば当時は右に出るものの無かった、ボリショイからロイヤルに移籍して3年目位だったイレク・ムハメドフ。心中する相手役は演技するバレリーナとして繊細な動きでは随一だったヴィヴィアナ・デュランテ。そして、当時から人気第一だったダーシ・バッセルがその長い足を存分に生かした演技を披露するなど、それはそれは素晴らしい感動的な舞台だった。
 そして、そのカーテンコール。勿論、客席は感動の渦です。それなのに、カーテンコールで出てきたダンサーが、デュランテはじめ、泣いている。何かがおかしい。そのうちに、支配人が物凄い形相で出てくるなり、右手で刀を切るように、場内の静寂を求めたのだ。「たった今、このグレートなバレエの作品を作ったグレートな演出家が、第3幕の間にこの場でなくなりました。皆さん、今日はどうか静粛にして、彼の業績をたたえてお帰り下さい。」これ以上に感動的な舞台は、唯一、クライバー指揮のオペラ「バラの騎士」を東京文化会館で鑑賞した時のみである。

 もう一つは、やはりロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにて、上記の前年だと思うが、キーロフのためのガラ公演があった。「ボリス・ゴドノフ」「スペードの女王」「エウゲニー・オネーギン」らのオペラの要所要所と、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」などのバレエの名作とを交互に、当時のキーロフのスターの大競演をゲルギエフの指揮のもと、見せてくれたとき。そのときには誰かがわからなかったが、ちょっと舞台に出るときにつまずきそうになったにもかかわらず、ただ一つのジャンプで、場内のハートをわしづかみにしたダンサーがいた。このときにわしづかみにされたのと同様の感動を与えてくれたのは、僅かに、同じ年に中村勘九郎の「鏡獅子」の後シテをロンドンのナショナル・シアターで見たときと、新之助光源氏が最初に歌舞伎座の舞台に出てきたとき位であろう。
 日本に帰国して、ルジマートフの舞台をみて、ああ、この人だ、あのときのダンサーは、と思った。いいときにいい場所でルジマートフを見れたことを感謝したい。

 と、こういうような体験が、ここ十年、クラッシック・バレエに関してはないのですよ。唯一、昨年の新国立でのザハロワの「ライモンダ」がそれに近い感激を味あわせてくれたので、もうすぐ見られる彼女のニーナ・アナニアシビリの代役の眠りは非常に楽しみです。メイデーに見る予定です。
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*1:ですます体とだ体とまぜこぜになっていて読みづらいこと。メールチェックしながらやっていたからですね。ごめんなさい