大宮氷川神社薪能鑑賞

http://www.scvb.or.jp/topics/takiginou.shtml
素謡 翁   金春流
能  楊貴妃 金春流 シテ 本田光洋
狂言 成上り 和泉流 シテ 野村万作
能  船弁慶 観世流 シテ 野村四郎

大宮氷川神社、先月いった、京都の醍醐寺に負けない位ステキだった。
考えてみると、私が薪能を見るのは今日で3回目、最初が一昨年の小平(市民会館の駐車場で、向こう側の竹林を見ながら10月上旬に)、2回目が先月の愛宕山能、そして今日。

こうして外で観能すると、能がもともと寺社への奉納のためだったことも感覚的にわかるし、昔の人はこうして外で。。。と思いが広がる。ただ、それにしても寒いのです。今日は日中暑かったのに、日暮れからどんどん冷える。私のお隣の二人は、前半でギブアップして帰った模様。勿体無い。休憩中に、火のそばに集まる人多数。暖かいもの。

今でこそ、マイクやら照明の助けを借りて外で薪能なんてやるけれども、昔は一体どんなだたのだろうか?もっと火をたいて、狭いところで、かつ、観客も鳥目だったのかもしれない。本日の公演情報からチケトリのお手伝いまでしてくださった方に心から御礼申し上げたい。

感想(1)イヤホンガイド
どうも解説した増田先生自らイヤホンガイドしたらしい。やはり一部の方の耳元から音が漏れていて。。。ちょっと迷惑。

感想(2)船弁慶
明日の富十郎の歌舞伎版と比べられるのが楽しみ。多分、今までも能の船弁慶、一度くらいはみたことがあるのかもしれないけれども、記憶ではない。女舞から知盛の霊まで、やはり見ごたえがある。子方について、増田先生が、「シテを目立たせるために子供を使う」のだそうだけど、なんか変。昔の人は面白い感覚をしていると思う。今の感覚だと、あの甲高い声を聴いたり、子方が刀を抜いたりすると、観客がワー、なんて、今日みたいに能を定期的に見ない客も入ったりすると反応するもんね。

感想(3)私はこの企画に気付いたのが遅かったため、ギリギリ正面席最後列で鑑賞したが、休憩時間にパンフを席に置いて立ち上がったらパンフを落としてしまう。この会場、珍しく小劇場みたいに階段を取り付けていたので(多分15段位)下に落ちたのだった、狭い隙間をくぐって。チケトリに大変お骨折りいただいたお茶屋娘さんからいただいたものだし、じっくり読みたかったので、終了後、後ろにいたカメラマンたちに、「あのお、ちょっとものを落としてしまって、ここを乗り越えてそちらにいってもいいでしょうか?」と駄目もとで聞いたら、なんと、そこにいた女の子が「私が取りに行きます」と取りに行ってくれた。感謝。

感想(4)今日も手持ちのホッカイロが役立つ。先般、醍醐寺で貰ったもの。カーディガンは持っていたが足も寒かったので、昔々、メルボルン校外のハミルトン島かどっかでペンギンツアーに行く際、寒いから新聞でもなんでも身に着けたほうがいいという言葉をふと思い出し、足に手持ちの新聞紙を巻いた。

感想(5)先週、半徹夜を2回した付けもあってか、素謡ではぐっすりと。謡ってどうしてこんなに眠くなるのだろうか?付け加えて、謡を聴くたびに、一人か二人の声が目立つ。オペラでもそうだけれども、そういう場合、どこの誰の声か?までわかる耳がほしい。まあ、地謡の場合は、脇から見ないとそこまでは見極められないだろうけれども。今日も、金春流の謡、なんかゆったりしていて普段よく聞く観世や喜多とは違った。

感想(6)今日のあの席(18列目で、実質2階席から見るような角度)、思わずロンドンでのリージェントパークで毎夏開催のシェイクスピアを思い出した。リージェントパークのオープンエアシアターでは、確か新聞で読んだのだが、最前列の人が舞台の俳優の剣が当たって頬を切り、途中休演になったこともあるとか。怖い。私はせいぜい、コクーンの夏祭りでメガネと頬に泥が付いたくらいだけれども。ちゃんと後から中村屋のてぬぐい貰ったし。

感想(7)氷川神社、周囲360度の深い緑は勿論の頃、水のせせらぎの音が上手と下手とから、そして火の燃える音と、自然の音満載。