レニ・リーフェンシュタール

 上記で思い出したので、是非書きたいこの人。大体、もともとダンサーだったのに、怪我をしたのをきっかけに行きづまりを感じて、駅のホームで見たポスターに感動して、映画監督のアーノルト・ファンクに手紙を書き、それがファンクの目に留まって上記の「聖山」、「死の銀領」「モンブランの嵐」「白銀の乱舞」や「SOS氷山」に主演することになる。それも、自分で本当に怖い怖い、危険度100%の”魔の山”で演技したそうだから、凄い。この人のことをドキュメンタリーにした作品、1993年公開の「レニ」が面白い。彼女の孫程の年齢の確かスイス人の監督、レイ・ミュラーが撮った者。ヒットラーの話題になると、私はそれには答えないわ、と当時でも90歳くらいになっていた、そてもその年に見えないまだまだ美しいレニ・リーフェンシュタールが踵を返して立ち去ろうとしたり。
 そのヒットラーのスピーチに感激し、またもや手紙戦法でヒットラーの目に留まり、芸術的才能ある女性が好きだったヒットラーのこと、経済的バックアップ十分で撮影されたのが例の「オリンピア」。撮影のためだけに、馬鹿高い高さのあるエレベーターを作ったり、ボートにカメラマンをくくりつけて競技を撮影したり、など、あれだけの名作が残せた理由。戦後、ヒットラーに近すぎたという理由から不遇な時期が何十年と続く中、アフリカの原住民との交流を撮影したカメラマンとして見事にカムバック(これが美しいのなんの、一番獰猛だといわれるヌバ族と暮らしてとった写真集。東京の現代博物館図書室に素晴らしい出来の写真集があります。手袋つけないと触らせてくれないという代物。)。そしてなるか年下の恋人をカメラマンにしこみ、今度ははるか深い海の世界を撮った映画「アンダ・アンダ・ウォーター」を発表。確か100歳を過ぎて去年か一昨年亡くなったと新聞で見た。
 彼女ほど、美の本質を理解していた真の芸術家、それも鉄の意志も一緒に持っていたアーティストは、そうそう出ないと思う。オノ・ヨーコもそのお仲間になるといっていいだろうけれども。
 今、ネットで調べたら、こんなのが出ていた。

http://www.cine-tre.com/leni/ フィルモグラリーより、よく出来たサイトです。
《■レニ・リーフェンシュタール 1902年ベルリン生まれ。ナチ党大会を記録した『意志の勝利』(ユ35)、最も美しいオリンピック映画といわれる「オリンピア」2部作(ユ38/『民族の祭典』、『美の祭典』)で歴史的称賛を浴びながら、「ナチの同調者」という烙印から、映画活動を中断。73年には、写真集『NUBAヌバ』を発表し、センセーションを巻き起こす。87年に自伝「回想」が出版されるとその映画化権をめぐり、一時期はスピルバーグも名乗りをあげ、レニ役にはマドンナやニコール・キッドマンの名前もあがった。最も可能性が高かったのはジョディ・フォスター監督・主演の企画だったが、映画化はまだ実現していない。》

既に故人だし、彼女を映画にしたら凄い大作になろうけど、主演女優、難しそう。それにあれだけの才能の監督を描くのに足りる監督の選任も。