合掌

ショックです。名人形遣いの玉男さんが本日亡くなったそうです。東京での千秋楽の日でした。心よりご冥福をお祈り致します。少しだけででも、玉男さんの名演を見られて私は幸せだ。

私が一番最初に文楽が好きになったきっかけは、1991年にロンドンで見た、玉男・蓑助の曽根崎心中。丁度その時、日経に「私の履歴書」を連載されていた。真っ赤な顔で遣う玉男さんの姿が今も忘れられない。それから東京で4回、同じペアで拝見しているが、実は最後の演技が最高だった。なんともいえない感動。そして、同じペアで男女逆に遣った「女殺油地獄」、馬鹿でかい舞台の12月若手文楽の中での由良助、そして菅丞相。忘れられない名演を10年は見させていただいた。大感謝

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060924-00000112-yom-soci
人間国宝文楽人形遣い吉田玉男氏が死去
 人形浄瑠璃文楽人形遣いの第一人者で、人間国宝吉田玉男(よしだ・たまお、本名・上田末一=うえだ・すえいち)さんが24日、肺炎のため死去した。87歳。
 告別式は親族のみで済ませ、後日、文楽協会葬を行う予定。喪主は妻の上田ユキエさん。
 大阪市生まれ。1933年に14歳で吉田玉次郎に入門し、翌年、大阪・道頓堀の文楽座で初舞台を踏んだ。戦後、頭角を現し、55年に近松門左衛門の「曽根崎心中」が約240年ぶりに復活した際、主役の徳兵衛を遣った。これが出世役となり、94年には通算1000回の偉業を達成した。
 大作「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助や「菅原伝授手習鑑(かがみ)」の菅丞相(かんしょうじょう)(菅原道真)など、数多くの人形を遣ってきた。立ち役(二枚目の男役)を得意とし、抑制された表現で、品格のある芸風を切り開いた。80代で立ち役を遣った人形遣いは玉男さんだけだった。
(読売新聞) - 9月24日20時17分更新