新国立劇場「鵺」にブラボー!

昨年の世田谷パブリックシアターで見た「春琴」(今年の再演は見なかったけれども、昨年と比べてどうだったのでしょうか?)に続き、今年のストレートプレイだけでなく、見てきた舞台のベスト。

それなのに、客の入りが。。。。直前までZ席まで余っていたほど。

現代能楽集としての上演だが、脚本も演出も舞台装置も役者も素晴らしい。しいていえば、村上 淳が時代物を演じるときの台詞が問題だったが、現代になると俄然生きてきた。特に最後の、中国かベトナムかタイか、まぜこぜのどこかの東南アジアの国を舞台にした設定での野心のある外人役はやけにはまっていた。

時空を超えた世界をたった2時間の間に、小劇場の空間で目の前に現実のものとして具現化させられたって感じです。三津五郎の影を使った所作の美しかったこと!田中裕子は、あまりにおしんの印象が強かったので気の毒だったが、本当にいい女優だ。高橋恵子と並ぶほどの実力があると思うのだけれども。

これを見ない損は、お金では換えられないと思った私であった。

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000067_play.html

作:坂手洋二
演出:鵜山仁

出演:坂東三津五郎
    田中裕子
    たかお鷹
    村上 淳


世阿弥晩年の作といわれる謡曲『鵺』をもとに、坂手洋二が時空を越えて妖怪“鵺”を描く渾身の新作が登場します。
“鵺”はもともと鳥のトラツグミを指していましたが、その声が夜の闇に不気味に響くことから、「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」を呼ぶ言葉となり、サルの頭、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾などを持つ奇怪な姿で描かれてきました。
平家物語』によると、近衛天皇の御所に、夜毎不気味な生物が出没して帝を悩ませたが、弓の名手・源頼政によって退治されたとされています。
作者は能の伝統性や形式性にとらわれるのではなく、原曲が「現在進行形の新作」として発表された際のダイナミズムに思いを馳せ、世阿弥をはじめとする先達が、なぜこの題材と劇構造を選んだかという「過程」に注目して、「鵺」の精神を現代によみがえらせようと試みます。
今日の『鵺』は、平安から現代、また日本からアジアへと舞台を移しながら、戦乱の世をさ迷い続ける敗残の悪霊、あるいは正史に名を残さなかった「まつろわぬ魂」との遭遇を描く、新たな“鎮魂の劇”です。
出演は、爽やかさと艶やかさを兼ね備えた歌舞伎界の花形・坂東三津五郎、たおやかさと強さを併せもつ田中裕子、たかお鷹、村上淳と、幅広く実力派俳優が集い、演出には鵜山仁芸術監督自らがあたります。世阿弥の古典能でも、三島の近代能でもない、現代の基層の再発見を目指す新作に、どうぞご期待ください。