歌舞伎座昼夜通し

平日ながら昼は満員。今月から舞台がやけに明るいな、と思ったら、三階脇の一番舞台寄りで、私が知る限り十数年前に玉三郎娘道成寺を演じた時以外はいつもデッド席だった場所に計4台のライトが増えた。実際に使っていたのは昼夜最後のクドカン野田秀樹の新作だけだったが、前よりも舞台が重層的に見えた気がする。ややオペラやミュージカルの西洋の味わいが出たのは使用した色合いだろう。是非とも美しい映像を残して欲しいものだ。


昼の三番そうは勘太郎の動きが美しく、野崎村は福助のお光が指を切った際に袖の中から塵を取って血止めにしない。今回も明らかに昔からの歌舞伎贔屓よりも新しい客層が目立つ雰囲気の中、イヤホンを聞かないと分からないような昔の習慣は辞めてコヨリを使い、彼なりに分かりやすい演技にしたのだろう。私的にはチト寂しい。

身替座禅はまたかと思う余り得意な演目でなく、勘三郎三津五郎の折角のゴールデンコンビなのだから、舞踊でもいいしもっと見応えある演目を見たかったが、以外に楽しめた。

クドカンの大江戸リビングデッドは今風にハケンやMJ擬きの群舞を扱うなど色々と趣向は凝らしていたが、最後まで見てまとまりのなさだけが印象に残った。鼠小僧に負けない作品とかなり気張って創作した苦労は伺えた。残念ながら喉を枯らしてはいたが、染五郎の器用さが光った。勘太郎七之助も役者ぶりが大きくなり、非常に存在感が光った。勘太郎、後日はムーンウォークまでサービスするかも?小山三の元気な姿も嬉しい。


夜の方が入りは悪かったが遥かに見応えがあった。唯一歌舞伎らしい演目の引窓が、右之助の母の好演で締まったのだろう。三津五郎の南与平衛が決まり決まりの姿が美しく、橋之助の濡れ髪もいかにもそれらしい。大江戸リビングデッドで女形がこんなに醜い姿で舞台に立ってもいいの?と思わせた扇雀のお早もしっとりしている。

神谷町のおじ様は孫6人といかにも私達にも福が来そうな舞踊の後に鼠小僧の再演。二日目ながらやや早めに終わるなど、非常にテンポ良くテーマを浮き彫りにした人間社会の建前の矛盾を鋭くついた名作に仕上がったのではないか?