英国ものだとどうしても登場人物のアクセントが気になる。
芝居でもそうだが、階級と出身地とが如実にアクセントに出る英国物は楽しい。日本の芝居や映画でも、もっとそこらへんを大事にできないであろうか 「屋根の上のバイオリン弾き」も、あのユダヤ訛りがかなり作品の質に影響しているが、日本ではただの標準語。イギリスの一人芝居から1989年に映画にもあたった、「シャーリー・バレンタイン」が日本に上陸し、草笛光子演じたときも標準語。あれは、リバプールの田舎に住む冴えない主婦の願望と現実との差が面白いのに、それが生きなかったのは両方見た身としては、実に残念であった。日本の芝居も、もっと関西弁と東京弁以外の言葉のアクセントを大事にするべきだと思うのだが。難しい注文かもしれないが、3年程前のNHK朝の連続小説「さくら」のさくら役、ハワイ出身の日系3世なのに、どうしてハワイ訛りじゃないのか気になって仕方がなかった。早見優とかKONISHIKIに発音指導してもらえばよかったのに。
 アクセントだけでなく、これは芝居の場合であるが、あちらから日本に輸入されるにあたって、過度に必要のない美麗な装置に変身するのも気になる。一つの例は、「エンジェルス・イン・アメリカ」。あれはロンドンでは、ナショナル・シアターのもっとも小さい劇場で、まるで倉庫で遣っているような、東京でいえばベニサン・ピットみたいなところでいかにもエイズを扱っていますっていう雰囲気で演じられた。それが東京では、銀座のセゾン劇場(現ル・テアトル銀座)で朝倉摂のキラキラした装置が使われた。私には、そのキラキラが単にマイナス材料に見えた。舞台装置家の大御所、朝倉摂の名前で人が入るとでも勘違いしていたのであろうか?
 たまたま美容院にあった映画雑誌を見たら、ジョニー・デップブラッド・ピットも既に40歳を過ぎているとのこと。この二人は色々と共通点も多いけど、いまひとつ庶民的というか品がないところも欠点になっていなくっていい。だからこそ、実年齢にはとっても見えないのかも。まあ、雀右衛門丈当年とって85歳の若々しさには遠く及ばないとしても。